自分は健康であると信じていた
        
        (生い立ちから更年期まで)

「小さい頃は1ヶ月に1度はひきつけた」とは母親の口癖。

「熱が出てきなナーと思ったらすぐ浣腸するのよ。
頭を冷やして足に湯たんぽを入れるのよ。ひきつけなくてすむわ。
ひきつけると親もビックリするけど、それだけやって落ち着いてから、
お医者のことを考えればいいのよ。慌てなくていいのよ」とは
私に子供が出来たときのご注意であった。

わたしは、小学4年生までは風邪で欠席しがちであった。
頭が痛くなる、のどが痛くなる、熱が出る.3日間は寝たきり。
母が、氷をカチカチと割って水枕と氷嚢を取り替えてくれるのが待ち遠しい。
ときには、お医者様が来て注射をして下さった。
注射が大好きな変な子であった。
薬も水なしでも飲めるのが自慢であった。
ついでに皆勤賞を取った事がないのを自慢するのも
子供の負け惜しみであったろうか。
扁桃腺肥大による高熱であった。

風邪で運動会に出て肺炎になった。
生死の間を彷徨ったのはこのときだけ。
やせっぽちであった。

小学5年生、6年生。風邪を引く回数が減った。
中学生.テニス部に入って健康になった。

高校生のときは風邪の高熱は一冬に1回くらいに減っていた。
生理痛は毎回苦痛であった。欠席した事もあった。

8年9ヶ月勤めた会社の行き帰りのハンドバッグには
保険証と頭痛薬が化粧品より不可欠であった。

結婚後は、心労、身労、過労の33年間であった。
腕痛・肩痛・背部痛は職業柄仕方ない。
胃痛・胃重・便秘は体質と思っていた。
その都度対応して治った。
治った後は健康である、と思っていた。


更年期は辛かった。
連続的、不連続的、強烈、微弱、取り混ぜた不定愁訴を体験した。
先輩諸氏は病気ではない、みな我慢してやり過ごしたという。


50代まで生きてこられた。
多少の具合の悪さは年のせいである。
体中が徐々に使い古されるのだから仕方がない。
誰でも同じようなものだから、我慢しよう。

仕事がある.家族がいる.忙しいのだ。
自分の事ばかり、かまってはいられない。
仕事が出来て眠れれば、病気ではない。

いざとなれば、病院がある、お医者様がいる、.手術もできる。
おおぶねに乗ればいいのだ。現代医学は進歩しているのだ。
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